分野

物語 MONOGATARI

個人の物語、語りの記録

物語 MONOGATARI 東京駅・大正十二年九月一日 その男の名は記録に残っていない。書き残された日記の断片と、後年に妹が書いた手紙の数行から、その存在の輪郭だけが分かっている。 改札の前で 午前十一時五十六分頃、男は丸の内側の改札を抜けようとしていた。乗ろうとしていた汽車は、十二時十五分発の上越線の二等車。出張の帰途、新潟の親戚を訪ねるはずであった。 一一時五八分 地震が発生した。東京駅の赤煉瓦は、辰野金吾の設計により、すでに一定の耐震性を持っていた。駅舎は崩壊しなかったが、人々は混乱した。男はホームに出る前のコンコースで身を伏せた。 時計は止まっていた。男は、止まった時計を見上げてから、自分の懐中時計を見たという。懐中時計は十二時を回っていた。 沈黙の数時間 震災当日、東京駅の周辺は奇妙な静けさに包まれていた。電気は止まり、電話は通じず、煉瓦の舗装は割れていた。男は、駅の構内で夕方まで過ごしたらしい。 何をしていたのか、記録はない。妹に宛てた手紙の中で、彼はただ「あの日は、丸の内の煉瓦の壁に背を預けて、空を見ていた」と書いている。 男はその夜、徒歩で本郷の自宅に向かう。途中、火災の煙の向こうに、皇居の堀の暗い水面を見たという。彼の旅程は中断された。新潟への汽車は、その後数日間運行されなかった。 後日 男は無事に自宅に帰り着き、家族の安否を確認した。彼の日記はその後、震災に関する記述をほとんど残していない。記録の欠落は、忘却ではなく、書きえなかったことの徴である。 2026.3.11 · 1分
物語 MONOGATARI 北海道からの祖母の手紙 祖母は北海道の十勝平野の、帯広から少し離れた町で生まれ育った。戦後、進学のために札幌に出て、結婚して内地に渡った。それでも、彼女の言葉のなかには、最後まで北海道の方言の響きが残っていた。 手紙の物理 紙の手触り、インクの褪せ方、封筒の角の擦れ方──手紙の物理的な特徴は、書かれた内容と同じくらい多くを語る。 ある手紙の便箋は、長く湿気の多い場所に置かれていたらしく、ところどころ紙魚が食った跡があった。それでも、文字は読める。十年前、二十年前、三十年前のインクが、なお紙の上に在り続けている。 祖母の文体 祖母の手紙の文体は、口頭の語りとは別物だった。書くときの彼女は、語るときよりも控えめで、余白を尊重していた。 「冬になりました。今年は雪が多いです。」──こうした短い文の連なりが、ひと月の生活の輪郭を伝える。情報は少ないが、季節の手触りは伝わる。 沈黙の時期 手紙の束には、明らかな空白がある。一九七〇年代後半から八〇年代前半にかけて、祖母は手紙をほとんど書かなかった。それは祖父が病で長く療養していた時期と重なる。 書かなかったのは、書くことができなかったからではあるまい。書くべき言葉を選ぶ余裕がなかった、というのが正確だろう。 最後の手紙 祖母の最後の手紙の日付は、彼女が亡くなる三ヶ月前である。「春になったら、もう一度十勝に行きたい」と書かれている。その春は来なかった。 手紙の束を箱に戻した。読み終えた後の沈黙のなかで、祖母の声が、書かれていた言葉とは少し違う響きで、耳に戻ってきた気がした。 2026.1.28 · 1分