三陸海岸の集落に点在する古い石碑のいくつかは、過去の津波の到達点を記録している。石に刻まれた文字は、災害の記憶を世代を越えて伝えるための、もっとも素朴で、もっとも頑丈な装置である。本稿は、この沈黙する警告について考える。
岩手県の海沿いの集落を歩くと、苔むした石碑が思いがけず目に入ることがある。多くは明治二十九年と昭和八年の津波被災を記した供養碑であるが、なかには「此処より下に家を建てるな」と直截に書かれたものもある。
姉吉の石碑
宮古市姉吉地区の石碑は、特によく知られている。明治二十九年の三陸地震津波と昭和八年の昭和三陸地震津波で集落が壊滅した経験から、生存者たちは高所に碑を建て、後世への警告とした1。
二〇一一年の東日本大震災のとき、姉吉地区では、この石碑より高所にある集落の家屋は津波の被害を免れた。古い警告が、八十年の時を越えて機能した、稀有な事例である。
警告の伝達不全
しかし、すべての石碑が機能したわけではない。多くの集落では、石碑の存在が忘れられていたり、刻まれた文字が摩耗して読めなくなっていたりした。文字情報は、語りや習慣によって繰り返し再活性化されない限り、徐々に背景化していく。
記憶の媒体としての石
石碑は、記憶を「保管」するためのメディアではない。むしろ、記憶を再活性化するきっかけを提供する装置である。誰かがそこを訪れ、文字を読み、考え、そして次の世代に語る──この循環がなければ、石は風景の一部になってしまう。
本連載「東北の石碑」は、この津波石碑を出発点として、東北地方の災害記憶の媒体について三回にわたって考察する。次回は、地震碑と土砂崩れ碑を扱う予定である。