評論 HYOURON

大庭夜光と昭和後期の映像

架空の映画作家・大庭夜光──彼の名は映画史の正典には現れないが、昭和五十年代から平成初期にかけて、八ミリと十六ミリの間で活動した自主制作の作家たちの代表として、本稿では彼を取り上げる。彼らの映像実践は、ハリウッドの語りの文法とは別の場所で、独自の時間感覚を彫琢していた。

商業映画と前衛映画のあいだに、もうひとつの層がある。長編でもなく短編でもない、ドキュメンタリーでもフィクションでもない、しかし家族写真でもない映像──昭和後期の自主映画は、その中間地帯を占有していた。

八ミリの時間

八ミリフィルムの一巻は、約三分。この物理的な制約が、映像の語りに独特の凝縮を強いた。三分という単位は、長くもなく、短くもない。観察するには十分で、物語を完結するには不十分な、奇妙な長さである1

大庭夜光のような作家は、この三分を、長編に組み立てようとしなかった。むしろ三分の独立性を尊重し、複数の三分が並列するような構造を選んだ。

編集を拒む編集

商業映画の編集は、時間を圧縮し、視点を統御する。一方、自主映画の編集は、しばしば「編集しない」ことを選択する。長まわしの映像が、そのまま提示される。

これは怠惰ではない。むしろ、観客に「編集を経由しない時間」を経験してもらうための、意図的な選択である。

上映の空間

商業映画館でも、テレビでもない上映空間──大学の教室、画廊の片隅、公民館の集会室──そうした場所で、自主映画は上映された。

その上映空間そのものが、作品の一部であった。観客は、観賞の作法を持たないまま、たまたまそこに居合わせた他者として、映像と向き合った。

大庭夜光の作品が現在残っているかどうかは確かでない。多くの自主映画作家の仕事は、フィルムの劣化と上映機会の消失によって失われていく。彼らの存在を記録することは、映像史の隙間を埋める作業である。