大正十二年九月一日午前十一時五十八分。東京駅の赤煉瓦の駅舎に、ある男が改札を抜けようとしていた。これは、その日に駅で交差した一人の人物と、その後の数時間の沈黙について、可能な範囲で復元した物語である。
その男の名は記録に残っていない。書き残された日記の断片と、後年に妹が書いた手紙の数行から、その存在の輪郭だけが分かっている。
改札の前で
午前十一時五十六分頃、男は丸の内側の改札を抜けようとしていた。乗ろうとしていた汽車は、十二時十五分発の上越線の二等車。出張の帰途、新潟の親戚を訪ねるはずであった1。
一一時五八分
地震が発生した。東京駅の赤煉瓦は、辰野金吾の設計により、すでに一定の耐震性を持っていた。駅舎は崩壊しなかったが、人々は混乱した。男はホームに出る前のコンコースで身を伏せた。
時計は止まっていた。男は、止まった時計を見上げてから、自分の懐中時計を見たという。懐中時計は十二時を回っていた。
沈黙の数時間
震災当日、東京駅の周辺は奇妙な静けさに包まれていた。電気は止まり、電話は通じず、煉瓦の舗装は割れていた。男は、駅の構内で夕方まで過ごしたらしい。
何をしていたのか、記録はない。妹に宛てた手紙の中で、彼はただ「あの日は、丸の内の煉瓦の壁に背を預けて、空を見ていた」と書いている。
男はその夜、徒歩で本郷の自宅に向かう。途中、火災の煙の向こうに、皇居の堀の暗い水面を見たという。彼の旅程は中断された。新潟への汽車は、その後数日間運行されなかった。
後日
男は無事に自宅に帰り着き、家族の安否を確認した。彼の日記はその後、震災に関する記述をほとんど残していない。記録の欠落は、忘却ではなく、書きえなかったことの徴である。