記録一覧

記録一覧

JapanNarrative に公開されたすべての記事を、新しい順に表示しています。カテゴリーで絞り込むこともできます。

JapanNarrative に公開されたすべての記事を、新しい順に表示しています。カテゴリーで絞り込むこともできます。

民俗 MINZOKU 津波石碑──東北の沈黙する警告 岩手県の海沿いの集落を歩くと、苔むした石碑が思いがけず目に入ることがある。多くは明治二十九年と昭和八年の津波被災を記した供養碑であるが、なかには「此処より下に家を建てるな」と直截に書かれたものもある。 姉吉の石碑 宮古市姉吉地区の石碑は、特によく知られている。明治二十九年の三陸地震津波と昭和八年の昭和三陸地震津波で集落が壊滅した経験から、生存者たちは高所に碑を建て、後世への警告とした。 二〇一一年の東日本大震災のとき、姉吉地区では、この石碑より高所にある集落の家屋は津波の被害を免れた。古い警告が、八十年の時を越えて機能した、稀有な事例である。 警告の伝達不全 しかし、すべての石碑が機能したわけではない。多くの集落では、石碑の存在が忘れられていたり、刻まれた文字が摩耗して読めなくなっていたりした。文字情報は、語りや習慣によって繰り返し再活性化されない限り、徐々に背景化していく。 記憶の媒体としての石 石碑は、記憶を「保管」するためのメディアではない。むしろ、記憶を再活性化するきっかけを提供する装置である。誰かがそこを訪れ、文字を読み、考え、そして次の世代に語る──この循環がなければ、石は風景の一部になってしまう。 本連載「東北の石碑」は、この津波石碑を出発点として、東北地方の災害記憶の媒体について三回にわたって考察する。次回は、地震碑と土砂崩れ碑を扱う予定である。 2026.3.25 · 1分
民俗 MINZOKU 梵天祭の春──東北の神迎え 梵天は、本来は仏教の「梵天」(ブラフマー)に由来する語であろうが、東北の民俗行事におけるそれは、必ずしも仏教の神格とは結びつかない。むしろ、地域の山の神、田の神を迎える依代として機能している。 横手の梵天 横手市の旭岡山神社の梵天奉納行事は、毎年二月十七日に行われる。各町内会が独自の梵天を作り、行列となって神社まで運び、奉納する。 梵天の頂上には鈴が付けられ、運ぶときに揺れて音を立てる。視覚と聴覚の両方が、神の到来を告げる装置となっている。 山と里の往来 梵天祭の核には、神が山に在り、定められた時に里に降りてくるという神観念がある。これは記紀神話の体系的な神々とは異なる、土着の神観念であり、その素朴さゆえに、災害や日常のなかで繰り返し更新されてきた。 形の変化 戦後、東北の人口減少に伴い、梵天行事は規模を縮小したり、簡略化されたりしてきた。それでも、完全に途絶えた地域は多くない。地域の人々は、形を変えながら、行事の核となる「神を迎える」という所作を残し続けている。 民俗行事は、文化財としての固定された形を持たない。むしろ、各世代が状況に応じて再編していく動的な実践である。梵天祭の鮮やかな色彩は、その動態のなかで、いまも東北の春を告げている。 2026.2.11 · 1分